あなたは日本語の「~づらい」と「~にくい」の違いって気になりませんか?
べっちー
まぁまぁそう言わずに。
「~づらい」と「~にくい」はほとんど同じ意味ですが、私は小さいことにこだわるのでかな~り気になります。
というわけで「~づらい」と「~にくい」は何がどう違って、どのような使い分け方をすればいいのかをちょっと調べてみました。
目次
「見えづらい」は誤用?
コトバンクで「見えづらい」と検索してみると、“間違えやすいことば” としてこれが誤用であることが示されています。
正しくは「見えにくい」として、コトバンクではこのような説明がされています。
参考:コトバンク
「見えづらい(間違えやすいことば)とは」「~づらい」は「~するのが難しい」という意味であるが、特に「読みづらい」「頼みづらい」のような意志的な動作を示す動詞と組み合わされるのが一般的である。これに対して「見える」は、意志によってコントロールできることではないので、意志にかかわらず困難を伴うことを示す「~にくい」を使って「見えにくい」という方がよい。
ここでのポイントは “意志的な動作” であるかどうかということですね。
その前に、日本語には「見る」と「見える」という言葉がありますが、これらは例えばそれぞれこんな使い方をします。
●見る・・・書かれている文字を見る
●見える・・・文字が書かれているのが見える
「見る」は進んで物事をしようとするとき、いわゆる能動的なニュアンスの言葉で、「見える」は能動的ではなく、この例の場合だとたまたま目を向けたらそこに文字が書かれていたというニュアンスの言葉です。
コトバンクでは、能動的(意志的)な動作の「見る」は「見づらい」と表現するのが正しくて、能動的でない「見える」は「見えにくい」と表現するのが正しいと言っているんですね。
先ほどの例を「見づらい」と「見えにくい」で言い換えてみるとこんな感じになります。
●見づらい・・・書かれている文字を見ようとしたが、目が悪いので見づらい。
●見えにくい・・・文字が書かれているようだがこの文字がかすれていて見えにくい。
う~ん、考えれば考えるほど意志的かどうかの境界線が曖昧になってきてどちらが正しいのか判断に迷いますね。
べっちー
「目が悪いから見づらい」というのも意志的には見たい気持ちはあるのだけれど、その意志とは裏腹に見たくても見えないとなると「目が悪いから見にくい」と表現することも妥当な気がしてしまいます。
「づらい」は心理的な抵抗感、「にくい」は客観的な困難さと区別する人もいる
私がたまたま見たテレビの情報番組で、かわいらしい動物キャラクターの形をした食べ物を抵抗なく食べられるかという企画のコーナーが放送されていました。
先ほど、めざましテレビの「ここ調」コーナーでみたらしにゃんこを紹介していただきました✨見てくださった方ありがとうございます😊
以前ツイートしたレシピなどはあとでRTしますので、よければご覧ください(=´∀`)#みたらしにゃんこ#めざましテレビ pic.twitter.com/yXfRHcIZWv— きゃらきゃらマキアート (@ccmakiart) 2017年11月27日
この企画の内容よりも私が気になったのはその際に使われた「食べづらい」という言葉です。
先ほどお話した “意志的な動作” がかかわっているのなら、この場合は「食べづらい」で正解ということですね。
なお、NHKの放送文化研究所の「ことばウラ・オモテ」では次のような使い分け方もあると書かれています。
参考:ことばウラ・オモテ|NHKの放送文化研究所
「~にくい」と「~づらい」また、「づらい」は心理的な抵抗感、「にくい」はやや客観的な困難さと区別する人もいるようです。
このことから、かわいらしい動物キャラクターの食べ物を食べるのは心理的な抵抗を感じるので「食べづらい」のほうが相応しそうだということもわかりますね。
それじゃあ「食べにくい」のほうはどんなときに使えばいいのでしょうか。
例えばこんな使い方はいかがでしょう。
●「料理が高温のため食べにくい」
●「あの子はまだ幼くて箸の使い方が上手ではないので食べにくそうにしている」
漢字に書き直すと見えてくる「辛い」と「難い」の違い
「づらい」は漢字にすると「辛い」、「にくい」は漢字にすると「難い」と書きます。
「辛い」は「からい」と、「難い」は「がたい」とも読めるので、誤読を避けるために文章では「づらい」や「にくい」と平仮名で表現するのが一般的ですね。
でも「辛(づら)い」には「その動作をすることに困難を感ずる」という意味があり、しかも「つらい」とも読めてこれには「苦痛を感じ、がまんできない」という意味や「どうしてよいかわからず苦しむ。困る」という意味があるので確かに心理的な抵抗を感じる言葉に思えます。
一方、「難(にく)い」には「動作の実現が困難であることを表す」という意味があります。「づらい」のように「困難を感じる」のではなく、こちらはあくまで「困難」なんですね。だから「がたい」には心理的な抵抗はあまりなさそうに思えます。
でも「あの人には近寄りがたい」という文がありますよね。この言い回しはけっこう一般的に使われる表現だと思います。
でもこれまでの話の内容からするとこれは、あの人へ近寄ることに対して心理的な抵抗を感じるのでこの場合は「あの人には近寄りづらい」と表現したほうが相応しいような気がするんですよね。
いったいどちらが正しいのでしょうかね?
結論:好きなほうを使おう
結論を言ってしまうと「~づらい」と「~にくい」の明確な正解ってないんだと思います。
ぶっちゃけて言うと「どっちでも好きなほうを使いな」ということかもしれませんね。
べっちー
先ほど紹介したNHKの放送文化研究所の「「~にくい」と「~づらい」」のページでも
「にくい」から「づらい」へ移行しているとも言えます。
「にくい」の方が長く使われ、「づらい」がだんだん台頭してきたと考えられます。
と言っていますしね。
先ほど紹介した「「づらい」は心理的な抵抗感、「にくい」はやや客観的な困難さと区別する人もいる」とあるとおり、そう区別する人もいるってことですからね。断定しているわけではないんです。
「~にくい」は古い表現で、最近は「~づらい」が使われることが多い
ところで確かに私が見た情報番組でもそうでしたが、「~にくい」よりも「~づらい」のほうを耳にする機会のほうが多いような気がします。
べっちー
でも私はどちらかというと「にくい」のほうをよく使っていますね。特に文章を書くときには。
なぜなら「づらい」だと「ずらい」と誤って記述してしまいそうだからです。
ネットの書き込みなどを見るとけっこうありますね、「ずらい」と書かれていることが。そのたびに「“つ” に点々だよ」と心の中で呟いています(笑
それと「づらい」の中には濁音が含まれるのでなんだか野暮ったいような印象を持ってしまっています。「にくい」のほうがスマートかななんて。
あくまでこれは私の個人的見解なんですけどね。
でも話し言葉の中で「見づらい」をあえて「見にくい」と言うと他の人に「醜い」と聞き間違えられそうなので、こういうときはあえて「見づらい」と言っているかも(笑
べっちー

おわりに
今回は「~づらい」と「~にくい」の違いについて考えてみました。
今回出した結論は「どちらでもいい」でしたが、このまま「~づらい」が台頭し続けるとひょっとして「~にくい」は消滅してしまうかもしれませんね。
それならそれで別に構わないと思っている人多数でしょうが、「~づらい」と「~にくい」の違いについて参考にしてもらえたらうれしいです。
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