1980年代から歌手や女優として活躍している南野陽子さんがテレビ番組からのインタビューを受けていたのをたまたま見ることができました。
南野陽子さんは1967年生まれの50歳(2017年10月現在)。舞台では老婆の役もこなすなど、様々なことを経験してきた南野さんは「諦めることの大切さ」を説いてらっしゃいました。
今回はそんな「諦める」ことと、それに伴う「執着を手放す」ことについてお話していこうと思います。
目次
諦めることも大切とは言うけれど
「諦めると転がり込んでくることもある」と南野さんはおっしゃっていました。
世間では諦めることよりも「諦めないこと」「Never Give Up」のほうが美徳だと捉えられていることが多いですよね。「諦めなければ夢はいつか叶う」とか「諦めないで最後までやりきろう」とかあなたもどこかで一度は聞いたこと、もしくは自分でも言ったことがあるのではないでしょうか。
しかしあえて「諦めることも大切」だと。これはいったいどういうことなのでしょうか。
諦めることは執着を手放すことと同じ
結論から言ってしまうと、この場合の諦めることというのは、執着を手放すことと同じことなんですよね。
“執着” とはもともと仏教の用語で「事物に固執し、とらわれること」という意味で、辞書で調べると「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」などとあります。いずれにしてもあまり良い意味ではありませんね。
参考:コトバンク
「執着」
何かを諦めないことも大切だけど、その何かに固執しすぎてしまうと「諦めない」のではなくそれは「執着する」ことになってしまいます。
「諦めると転がり込んでくることもある」というのは、「執着を手放すことで良いものを手に入れること」とほとんど同じ意味なんですね。
さまざまな執着
ところで執着っていったいどういうことでしょうか。執着のいくつかの例を挙げてみましょう。
女優さんならば『美しさへの執着』といったところでしょうか。若いときには肌に張りがあり綺麗なお顔立ちをして美しさをウリにしていた女優さんも歳をとるにつれてどうしてもシワなどが目立ってきてしまいます。これをなんとかするために美容整形に手を出すなんてことが『美しさへの執着』ですね。
男性の中には歳をとるにつれて頭髪が寂しくなってきたなんて方もいると思います。一部の方は側頭部や後頭部の髪を長く伸ばして無理やり頭頂部に持って行って髪が薄く見えないようにごまかしたり、カツラをつけてみたりするのは『頭髪への執着』。
恋人や配偶者と別れてしまったけれどその相手のことが忘れられない。なんとかしてよりを戻したい・・。度が過ぎるとストーカーにまで発展してしまう・・なんてのは『愛への執着』とでも言いましょうか。
事業の成功によりお金持ちになり贅沢な暮らしをしていた人が、その事業が失敗したことでお金がなくなり贅沢な暮らしを手放さなければならないけれど、生活の質をなかなか下げることができないなんて場合は『贅沢な暮らしへの執着』にをしていることになりますね。
こだわりや好き嫌いを通り越して執着に
上の例はどちらかというとわかりやすいものですが、中にはこのような執着もあります。
洗濯物のたたみ方にものすごいこだわりを持っていて、自分だけでするならまだしも他人にもこのやり方を強要する。
食べ物の好き嫌いが高じて、食わず嫌いにもかかわらず特定の食べ物や食材を絶対に口にしようとしない。
昔ながらのやり方にこだわるあまり、新しいものを取り入れることができない。
などなど他にもたくさん例はあります。
“執着の虜” となるのは問題
でも執着ってどんな人にも年齢を重ねていくうちに大なり小なりあるものです。私にだってもちろんあります。
しかしこの執着、客観的に自分のことが見えていて、自分がどういうことに執着しているかがわかっていれば問題はそれほどありません。自分で理解して納得してやっているのならその人が何をしようと他人に迷惑がかからないならその人の自由ですからね。
ところが自分では執着だと気づいていないと、傍から見ると若作りしすぎとかカツラがバレバレとかで痛々しかったり、指摘されて憤慨したりするとこれはちょっと問題です。
こういう人は “執着の虜(とりこ)” になっているとも言えるかもしれません。
“執着の虜” となると誰からの指摘に対しても聞く耳を持たなくなってしまうため、指摘してくれる人もいなくなり、腫れ物に触るような対応をされたり、だんだんと人が離れていくことが多くなってしまうんですね。
執着を手放せば良いものが手に入る
さて話を少し戻しましょう。
南野陽子さんがおっしゃる「諦めると転がり込んでくることもある」というのは、「執着を手放すことで良いものを手に入れること」とほぼ同じ意味と先ほどお話しました。
それではなぜ執着を手放すと良いものを手に入れることができるのでしょうか。
執着とは先ほどの例の中でも少し触れたように、古い事物にこだわり新しい事物を受け入れない状態であるとも言えます。
世の中は急速なスピードで進んでいるので商品やサービスは新しいものがどんどんとあらわれますし、それとともに人々の価値観もどんどん変わっていきます。
ところが “執着の虜” に陥っていると、これらの新しい商品やサービスや価値観をどうしても受け入れにくくなってしまうんですよね。
最近の例でいうと、「仕事の連絡に SNS を使うなんて何事だ!」みたいなことです。
しかし自分の執着を手放すことで、気持ちに余裕が生まれて新しい物事を素直に自分のものにできる可能性がグッと高まるんですね。
古い価値観をすべて捨てろということではない
もちろん古い商品やサービス、古い価値観や考え方をすべて捨てようと言いたいのではありません。古いものや既存のものの中には素晴らしいものや価値観がたくさんありますからね。
でも、新しいものや自分とは違う価値観を何も考えずに頭から否定して、自分の価値観に見合うものしか認めようとしないのはいかがなものでしょうか。(これがひどくなると俗にいう “老害” となります)
古くて自分の中だけのこだわりに執着するのではなく、執着はなるべく手放してから新しい価値観 “も” 身につけることができれば、執着していたころよりももっとよりよい人生になるのではないかと私は思うんですよね。
終わりに
今回は「執着を手放す」ことのお話をしてまいりました。
ちょっと説教くさくなって「おいおい、老害か?」と思うかもしれませんが、こんなこと言ってる私だって妻に言わせるときっと “執着の虜” だと思います。細かい性格をしているので。笑
自分で自分のことが見えてないところもあると思いますし・・・。
この記事はそんな自分自身への戒(いまし)めみたいなところもあります。しかしそんな中でもひょっとするとあなたの戒めになるかもしれないので、心の片隅にでも入れておいてもらえると何かの役に立つかもしれませんよ。
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