殺人事件を回避するために政府がツイッターを規制に不満の声が続出

殺人事件を回避するために政府がツイッターを規制に不満の声が続出

ツイッターに自殺願望を書き込んだところ、一人の男に付け狙われて、合計9名の方の尊い命が失われてしまったという神奈川県座間市のアパートで置きた事件が事件が世間を賑わせていますね。

11月10日に日本政府は首相官邸で関係閣僚会議を開催し、この事件についての再発防止策を年内に取りまとめる方針だそうです。

「政府、ツイッター規制検討=座間9遺体事件で年内に再発防止策」
(※記事の有効期限が切れています。)

参考:時事通信

そしてこの防止策ではツイッターの規制なども検討するとのことで、規制をすることに対して一部のツイッターユーザーなどから不満の声が聞こえてきています。

「ツイッターはただのツールであって規制するなんてとんでもない。それよりも使う人の問題なのでは?」といった不満です。

そこで今回はツイッター規制の是非と、危険に遭わないためのツイッターなどのSNSの利用方法について私なりの考えをお話していきたいと思います。

世の中には悪意を持っている人もいる

私もツイッターユーザーですからね、同じように「使う人の問題だろうに」と思いますよ。

なぜいつも悪者にされるのは道具のほうで、これが規制をされないといけないのだろうって。

というわけでまずは使う人の側の問題についてお話していきます。

根本的なことを言うと、悪意を持っているかもしれない人がいるような、不特定多数の人の前に自分の心の隙をさらけ出してしまうことが問題で、これがきっかけで被害者の多くは自分の命を失うことになってしまいました。

この世の中は残念ながらあなたのことを慮(おもんばか)ってくれる人ばかりではありません。

中には他人を貶(おとし)めて、お金を奪い取って金銭的欲求を満たそうとしたり、性的欲求を満たそうとしたり、常人には考えつかないのような今回のような殺害願望を満たそうとしている人もいるんですね。

彼らは、獲物を探すために虎視眈々と目を光らせています。

SNSに安易に自分のプライバシーをさらけ出したり、自分の弱みを書き込んだりすることは、彼らの罠にわざわざ嵌(は)まりに行くようなものです。

問題を知っていればトラブルの回避がしやすくなる

映画やドラマでは悪人の罠に登場人物が嵌りそうになる場面で、観ている我々は「そっちに行っちゃいけない!」とこの登場人物に教えてあげたくなるのですが、この人物はあえなく罠に嵌まってしまいます。

映画やドラマなんだから当たり前だろと言われると元も子もありませんが、観ている側からすると罠があるのを “知っている” から罠を回避しようよと思えるのであって、この登場人物からしたら罠があることを “知らない” ため回避ができないのです。

でもこれは映画やドラマのようなフィクションに限らず、現実世界でも同じなんですよね。

人は “知っていること” ことには対処できるけど、“知らない” ことには対処ができないんですから。

危険があることを “知らない” ままでいるから、悪意を持っている人がいるかもしれない不特定多数の人が使えるSNS上に、安易に自分の弱みを書き込んでしまうんですね。

“知る” ことは処世術だ

それはまるで生まれたばかりの赤ん坊のようです。

生まれたばかりの赤ん坊は、外の世界にはいろいろな危険があることを知りません。

知らないから、持ったら危険なものでも平気で手にしようとしますし、食べたら危険なものを平気で口にしようとします。

でも赤ちゃんはだんだんと何が危険で何が危険でないか、何が食べられるもので何が食べられないか、などを学習していくんですね。

よって、SNSを使う場合は知っておかなければなりません。世の中には自分を貶めようとしている人間がいるということを。

世の中がユートピアならばこんなことは知らないでいてもよいのでしょうが、残念ながら現実世界はユートピアではないので、私たちは身を守るために嫌なことでも知っておかなければならないことがあるのです。

心の弱みという落とし穴に蓋をすることはできない

心の弱みという落とし穴に蓋(ふた)をすることはできない

しかしこんなことを言ってみても、すべての人の耳に届くわけではありませんし、例えすべての人の耳に届いたとしても、その人たちのすべてが耳を傾けてくれるわけではありません

それに、自殺願望を自ら発信してしまうような心が弱くなっている人に対して正論を振りかざしてみても、やはり彼らの耳には届かないでしょう。

これは何も今回の被害者が若者ばかりだから若者だけが耳を傾けないというわけではありません。

お年寄りが被害者の多くを占める『振り込め詐欺』の被害がなかなかなくならないのもこのせいです。

「振り込め詐欺の被害に遭わないように云々」といくら訴えかけても自分とは関係ないと言って聞く耳を持たなかったり、自分が被害者にならないように気をつけていたとしても弱みにつけこまれて被害に遭ってしまう人がたくさんいるのです。

こういったことから、“心の弱みという落とし穴に蓋(ふた)をすることはできない” ということなんですよね。

弱者を守るために規制も致し方ない

心の弱みは根絶することができない、いわゆる人間の心を規制することはできないから道具を規制する羽目になるわけです。

(人間の心を規制しようとしたら思想の自由が奪われることになるのでそれこそ無理筋な話です)

例えば振り込め詐欺ならば、ATMからは一日あたり50万円までしか引き出すことができないなどという規制ですね。

しかしこのような規制をすると、道具を正しく使っている人が割りを食うことになります。「ATMから50万円よりも多い金額を引き出したいのにできないなんてまったくもう!」というように。

結局のところ、規制というのは “弱者を基準” にせざるを得ないところがあります。

振り込め詐欺だったら被害が最小限に済むようにとか、マンナンライフの蒟蒻畑だったらお年寄りや小さな子でも喉に詰まらせなくて済むような固さにする(私は以前のあの固い蒟蒻畑が好きだったんですけどね・・)というようなことです。

いくら本人や周囲の人が気をつけていても、避けられないことが発生してしまうんですよね。

だからこれらを回避するために規制を設けざるを得ないということなんです。

私が出した結論

ということで、歯切れが悪く、面白みのない結論で申し訳ありませんが、今回の事件のようなことが起こらないようにするには、SNSの正しい使い方を知るとともに、ツイッターの規制もやむを得ないのかもしれないと、私は思うようになりました。

規制の内容次第ですが、割を食うのはもちろん嫌ですけどね。

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