王国の王・エゼキエルが仲間の多くを、そして愛“虎”のシヴァまで失ってしまい失意のどん底まで落ちたのがウォーキング・デッド シーズン8の第4話でした。
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なんだか以前と比べてウォーキング・デッドに面白さを感じなくなってしまったため、次の第5話を見るまでに3カ月もの月日が流れてしまいました。
わが家の場合、子育ての合間に夫婦の時間を合わせてドラマを見る必要があるため、日常生活に忙殺しているうちにいつの間にか時間が経ってしまったんですね。
でもせっかくここまで見たんだから最後まで見ようと、3カ月の沈黙を破ってドラマの続きの視聴を再開することにました。
なお、こういうった行為は心理現象でいうところの「コンコルド効果」とか「サンク・コスト効果」などと呼びます。知りたかったらググってくださいね、と。
目次
偽善者神父・ゲイブリエル
ウォーカー(ゾンビ)が蔓延する世界なので「この世に神も仏もあるもんか!」と思ってしまいそうなものだけど、それでも信仰心に篤いのが神父・ゲイブリエル。
でも信仰心が篤いというよりも、どちらかというとこの人にとって信仰は心の拠り所なんだと思います。
何かを信じるって行為は信仰であろうとなんであろうと大なり小なり生きるための心の拠り所なのでしょうね。
だからゲイブリエルにとっては信仰心こそが生きる糧といったところでしょうか。
しかしゲイブリエルはリックたちと出会う前は、自分の教会に避難して来ようとしている人々を閉め出して見殺しにするという悪行をしでかしています。
つまり言っていることとやっていることに辻褄が合っていない偽善者野郎なわけです。
そんな偽善者野郎に信仰がどうのとか言われてもまったくもって説得力がないのですが、人間というのは元来臆病で弱い生き物だから信仰心がなければやっていけない、と考えると合点がいきます。
だから私はゲイブリエルもけっこう好きなキャラです。
サイコ野郎・ニーガン
それとは反対に、「この世に神も仏もあるもんか! 俺様こそが神だ!」となったのがサイコ野郎・ニーガン。
ただしニーガンは今でこそサイコ野郎だけど、これは生まれ持った性格ではないようです。こんな世界になって妻を亡くしてから変わっていったようです。
(以前のボスキャラのガバナーとキャラがカブるところがあるけれど)
でも「サイコパス」をWikipediaで調べると、
参考:Wikipedia
精神病質(サイコパスから転送)「犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的」
とあってニーガンにもかなり当てはまるのでひょっとすると生まれ持ってのサイコ野郎なのかもしれません。
だからこんな世界になる前はどんな生活をニーガンは送っていたのか? 物語の先のことよりも私はニーガンの過去のほうが気になります。
しかし、ゲイブリエルとのやり取りのなかでニーガンはこんなことを呟きました。
「ルシール 俺に強さを」
ルシールとはご存知の通りニーガンの愛用しているバッドの名前でありながら、亡くなったニーガンの愛妻の名前でもあります。
この一言からニーガンは自分のことを弱い人間だと自覚していることがわかります。本物のサイコパスならば自分のことを弱い人間だなんて思っていないはずですから。
人々の心を掌握するために、良い言い方をすると人々を導くために、ニーガンはあえて自分をサイコパスと仕立て上げているのかもしれません。
ニーガンとゲイブリエルのドツキ漫才
このように正反対のニーガンとゲイブリエル、2人の掛け合いが今回のおもなストーリーでした。
でもただの掛け合いではなくてドツキ漫才でしたよ。笑っちゃいました。
ゲイブリエル「許された」
ニーガン「・・・」
ボコッ!(ゲイブリエルにパンチをお見舞いするニーガン)
私の感想「(鼻痛そう)」
ゲイブリエルの説得で過去のことを少し話すニーガン。
ニーガン「俺が弱かったからだ」
(ここでもニーガンが自らの弱さを吐露)
この吐露が今回のサブタイトルの “懺悔” ってことなんでしょうが、これを聞いたゲイブリエルは「許された」と言って勝手に神様の声を代弁するんですが、ニーガンは「どの口が言うんじゃボケ!」みたいな感じでゲイブリエルの顔面をぶん殴ったところがおもしろくて。
ウォーカーの大群に周囲を囲まれていて危機一髪な状態なのにこの呑気なやりとりに顔がほころんじゃいました。
ニーガンがこんなところで殺られるわけがない
ウォーカーに周りを囲まれているのに顔がほころんじゃった理由にはもう一つあって、ゲイブリエルはともかくニーガンがこんなところで死ぬわけない、というドラマの都合がわかってしまうからでもあるんですよね。
シーズン8の第1話もそうでしたが、なぜ敵対する組織のボスがこんな情けない目に遭わねばならないんだという疑問が私のなかにくすぶっていましてね。
ボスキャラはもっと畏怖の対象であって欲しいのに、部下と孤立して、しかも敵方の偽善者神父と一緒に過ごしてるのって、これっていったいどういう絵面だよとツッコミを入れたくなりました。
また出た “内臓ぶっかけ作戦”
そしてこの後に今回の最大のツッコミどころがやってきます。
ついに業を煮やしてウォーカーの集団の間を突破しようと試みるニーガンとゲイブリエルの2人。
でもこのままでは簡単に奴らに殺られてしまいます。
そこで採用したのが例の作戦。
その作戦とは、殺したウォーカーのお腹から内臓をひっぱり出し、これを自分の身体にこすりつけ、そして自分を屍人に見せかけてウォーカーの目を欺こうという “内臓ぶっかけ作戦” です。もうウォーキング・デッドのおなじみのもの。
ウォーカーたちは頭は空っぽですが嗅覚はしっかりしているのか、ゾンビと人間の区別はニオイで判断しているみたいです。
でもこの方法、これまで何回使いましたか? 「またこれかよ」と見てるほうはドッチラケですよ。はっきり言って「何度目だよ!」「いい加減にしろ!」と思いますね。
さっきまで顔がほころんでいたのに今度は乾いた笑いが私の顔に浮かんでいましたねきっと。
ゾンビってクサくないの?
それにしても死体の内臓なんだから相当臭うはずなのに、みんな「クサイ」とか言うだけでそんな素振りはほとんど見せないのがこのドラマのすごいところ。
そもそもウォーカーって死んでいるのだから歩いているだけで死臭を発しているはずなので、人間からすればもしウォーカーに近づかれてもニオイで感づきそうなものなのに、多くの人間がウォーカーの不意の襲撃によって命を落としています。
もしかするとこんな世界になってからというもの、周りじゅうに死臭が立ち込めているので、人間はそのニオイに慣れきってしまったか、それとも鼻が馬鹿になったかどちらかなのかもしれません。
だから近づいてくるウォーカーになかなか気づかないし、内臓を自分にぶっかけてもそれほど気にならないのかも。
いやぁ、想像したくないですねそんな世界。
ニーガンが無事に“聖域”に生還
兎にも角にも、ニーガンとゲイブリエルは内臓ぶっかけ作戦によって生還し、アジト(「聖域」)のニーガンの部下たちの元へ戻ることができました。
これによりゴタゴタしていた「聖域」の人間関係がニーガンの復帰により一気に解消しました。このへんはさすがカリスマ・ニーガンというところでしょうか。
カリスマというより恐怖で支配とも言うのかも。
でもこんなに簡単に復帰してしまうのなら、ドラマ制作陣はなぜニーガンをわざわざ孤立させたんでしょうか?
窮地に陥らせることでニーガンの口から過去のことを語らせたかったから、かなぁやっぱり。ほかにもやりようがあったような気がするんだけどまあいっか。
一方、リックとダリルは
ああ、あと別の場面でこのドラマの主人公のリックとダリルが殴り合いの喧嘩をしてましたね。
仲間同士なのにちょっとした意見の食い違いで喧嘩を始めるとか、彼らにはこの危機を解決しようという気持ちが本当にあるのでしょうか。
リックたちが横転させた敵の車のなかにダイナマイトがあるのをダリルが発見したので、ダリルはそれを持って行こうとしたらリックが「チョッ!待てよっ!」みたいな感じで静止させられてこの後殴り合いの喧嘩に発展。
そのどさくさに紛れてリックがダイナマイトの入ったバッグをポイーと投げたら横転していた車から火が出ていて、それがダイナマイトに引火してドカーン。
何がしたいんだお前ら。
こっちも似たようなお笑いのシーンでした。
なんだかんだ言ってドラマを楽しんでる
こうやって感想を記してみると、私はなんだかんだ言ってこのドラマを楽しんでいることに気づきました。
べっちー
だから次回以降も見たくなってきましたね。
というわけで次回の感想もお楽しみに☆
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